給食が苦痛だった思い出 

米国永住権の申請中ですが、なかなか次のプロセスに入らない!!!
10/29/2020に
・移民ステータス変更申請(I-485)の指紋採取
・労働許可証(I-765)の取得
・渡航許可証(I-131)の取得
が移民局に受理されてから現在(2/21/2020)まで約4か月、全く動きがありません。早く何か進展があるといいなと願いつつ、こればかりは自分の努力ではどうしようもないので、ひたすら待つのみ。

 

永住権のプロセスを進めていく過程で、まとまった待ち時間を過ごしていると過去と未来の人生を改めて考えることが増えてきました(アラフォーという年齢によるものかもしれませんが)、自分の人生の中で「あまり他人に理解されないこと」を思い出しては色々と物思いに耽ることが増えてきました。

 

自分の過去を振り返ると「食事に関する苦労」というものがありました。

 

私は小学1年生から5年生まで、給食の時間が苦しくて仕方ありませんでした。家族や親族以外の集団で一緒に食事をすることがとても苦手で、4時間目の途中で廊下から香る給食の匂いで緊張が走る、そんな児童でした。

 

皆さんも記憶に無いですかね?給食が終わって掃除の時間になっても居残りで食べさせられているクラスメート。机を後ろに引き下げるにも邪魔で、給食が乗った机を自分で引き下げて、引き下げ終わったらまた座って格闘しているクラスメート。

まさにあれでした。しかも、毎日。

嫌いな食べ物があるから残してしまうのではなく、何でもダメなのです。「集団での食事」という行為自体が無理だったのです。

当時の担任の先生も「なんで残すのか。とにかく食べなさい!!」という先生で、これがまた相当なプレッシャーになるわけです。あまりに苦痛だったため、その苦痛から逃れるために、パンを給食袋やズボンのポケットに隠すことも。そしてそれがバレて相当な叱責を受けることもありました。

担任の先生から理解されず、卑怯者呼ばわりされ、クラスメートからも「食べられないのはいけないんだよ!」と、早くしろ。食べろ食べろの大合唱。

無理やり押し込まれて吐く。惨めな気持ち、学校にも行きたくなくなる。給食なんて無ければいいのに。。と

「一口でいいから食べなさい!!」の一言に、涙。いや、食べられるものならとっくに食べているのです。食べられないからこうしているのです。

もう吐かないのに必死。

 

友達と言い合いになったときにも「給食食べられないくせに!!」という台詞に何度泣かされたことか。あぁ小学生時代には絶対に戻りたくない。

 

まさに日本が誇るメタルバンド "SEX MACHINEGUNS"の「ONIGUNSOW」状態。

 


初めて聴いたのは高校生の頃ですが、あのサウンド・歌詞に色々な意味で引き込まれました。過去の自分に重ね合わせ、あの曲で涙を流すという少年でした。

 

 

小5の時の担任の先生に優しく「無理しなくていいから食べられるだけよそって。残してもいいから」と言ってもらって、精神的に少し楽になったことがきっかけで少しずつ食べられるようになりました。  で、私が通った中学校は給食ではなく、弁当だったので、食べられなかったとしても叱責されることも無く、なんという解放感!

 

このようなトラウマから、「人の作ったもの」を食べるのが今でも苦手です。コンビニやレストラン、街のお弁当屋さんのものは平気なのですが、誰かが作ったもののお裾分けや、アメリカの「ポットラック」的なものが苦手です。学生時代に友達の家でやった「鍋パーティー」とか「キャンプでみんなで作った食事」とか「BBQ」といった『一緒に作って食べる』というのは完全に克服したのですが、「作ってきたものをもってこられる」というものは未だに、、、苦手です。

 

学生時代に付き合っていた彼女との最初のデートで遊園地に行ったのですが、その時に当時の彼女がお弁当を作ってきてくれました。ありがたいし、せっかく準備してくれた彼女に本当に申し訳なく、そのときも「胃の調子があまり良くなくて。。。」と殆ど手を付けず。。

こんな体質を理解されるわけない、と思い伝えることもなく、それ以来彼女はデートの時にお弁当を作ってくることは無くなりました・・・。
今から思えば、最初に話しておけばよかった。別れるまでの2年間、このことを告げることはありませんでした。

 

家族が作ったものやレストラン・コンビニ・スーパーのお惣菜は問題無く食べられるので、持ってきてくれる人(友達の親や当時の彼女や友達)は「私の料理が好きじゃないのね」と解釈し、良い顔はしてくれません。

 

でも潔癖症かと言われればそうでもない。床に落としたものも3秒ルール適用可能。なので「潔癖症なんだね」と片づけられてもちょっとしっくりこない。

 

少しずつ改善してはいるのですが、これは自分にとっての永遠の課題です。

当時はインターネットも無く、同じような悩みを持つ人もおらず、先生が絶対だったため、「自分がダメなんだ」と思い込んでいました。

時は流れ、10年ほど前に以前タレントの有吉弘行さんが給食ではないものの「よその家庭の味が苦手」と発言されたことがありますが、正にそれです。あの発言に本当に「自分だけじゃないんだ」と安心したのをよく覚えています。

  

 

娘が多少の好き嫌いはあるものの、友達との食事やポットラック、友人宅での食事を楽しめていることを嬉しく見守っているところです。

そしてこんな食事もろくにできなかった自分、今でも誰かが作ったものが苦手は自分が今こうして色々なバックグラウンドを持つ家庭に招かれ(今はCOVIDの関係で招待されませんが)、食事を振舞われ、得意苦手があるものの、少しずつ克服していることを不思議に思う今日この頃です。

 

私もインターネットの普及で同じような悩みを持った人が少なからずいることに安心しました。たまたまこのブログを読んでくださった方が、そういう方を理解するきっかけになったり、同じような悩みを持った方がこの記事を読んでくれて、安心材料になれば有難いです。

 

そうこう考えているうちに早く次のプロセスである
・移民ステータス切り替え(I-485)の指紋採取
・労働許可証(I-765)の取得
・渡航許可証(I-131)の取得
の進展があるといいなぁ。

 

 

うさ